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NTRが好き=おかしい?寝取られ性癖に不安を感じる人へ

ある読者の方(20代・会社員)から、このような声が寄せられています。「特定のシチュエーションに強く惹かれてしまう自分に対し、嫌悪感を抱いています。パートナーを大切にしたい気持ちはあるのに、頭のどこかで裏切りや喪失を求めてしまう。自分はどこかおかしいのではないかと、夜になるたびに不安になります」

こうした「自分の嗜好に対する違和感や罪悪感」は、決して珍しいものではありません。特に社会的な倫理観と個人の性的な衝動が相反する場合、そのストレスは孤独感を増幅させます。

本稿では、公開データや専門家の知見をもとに、なぜそうした不安が生まれるのか、そしてその衝動とどのように向き合い、心のバランスを保てばよいのかを整理します。異常かどうかの白黒をつけるのではなく、現状を冷静に把握し、安心するための判断材料としてお役立てください。

なぜ「NTRが好き=おかしい」と自分を責めてしまうのか

特定の性癖を持っていること自体よりも、「それを持っている自分を許せない」という自己否定こそが、メンタルを消耗させる大きな原因となります。なぜ多くの人が、この特定の嗜好に対して強い罪悪感を抱くのでしょうか。その背景には、社会的な価値観と個人の感覚との間に生じる、構造的なジレンマが存在します。

社会的な通念と「比較・嫉妬」のジレンマ

一般的に、恋愛やパートナーシップにおいては「独占欲」が愛情の証とされる傾向があります。「好きな人には自分だけを見ていてほしい」「パートナーが他の誰かと親密になるのは耐え難い」というのが、社会通念上の“普通”とされる感情です。

そのため、パートナーが他者に奪われる状況に対して興奮を覚えるという反応は、この一般的な枠組みから大きく外れているように感じられます。「愛しているはずなのに、奪われることを望んでいる」という矛盾は、自分の中に「愛情が欠如しているのではないか」「相手を軽んじているのではないか」という疑念を生ませます。

また、周囲の人々が当たり前のように独占欲を語る環境に身を置いていると、自分だけが周囲と違う感覚を持っているという孤独感が強まり、「自分は異常だ」という結論に達しやすくなるのです。

「興奮」と「倫理観」のギャップが生むストレス

人間の脳内では、理性的な判断を行う領域と、本能的な欲求を感じる領域が常にせめぎ合っています。特にこの性癖においては、「倫理的には忌避すべきこと(裏切り、不幸、悲しみ)」が、脳内で「快楽のトリガー」として誤認あるいは変換されている状態と言えます。

頭(理性)では「そんなことはあってはならない」「嫌だ」と強く拒絶しているにもかかわらず、身体や本能が逆に反応してしまう。この「心と体の乖離」が強烈なストレス源となります。

自分自身が大切にしている倫理観が高ければ高いほど、そこから逸脱するような反応を示した自分に対して厳しい目を向けてしまいます。つまり、罪悪感を強く感じる人ほど、本来は真面目で、パートナーや倫理を大切にしたいという気持ちが強い傾向にあるとも言えるのです。

寝取られ性癖は「普通か異常か」で割り切れるものではない

「自分は普通なのか、それとも異常なのか」。悩んでいる最中はどうしてもこの二元論で答えを求めたくなりますが、人間の性癖や心理はグラデーションであり、明確な線引きは困難です。ここでは、少し視点を変えて、その性質を客観的に捉え直してみます。

性癖と人格は「別物」であるという視点

心理的な傾向として、性的なファンタジー(空想)の内容と、その人の実際の人格や行動特性は必ずしも一致しません。むしろ、日常生活で理性的で抑制が効いている人ほど、空想の中では非日常的なカオスや背徳感を求めるという「補償作用」が働くケースが多々見られます。

例えば、非常に穏やかで争いを好まない性格の人が、アクション映画や格闘技の激しい描写を好むことは珍しくありません。これと同様に、現実では誠実で平和な関係を望んでいるからこそ、脳内の安全な領域でのみ、正反対の刺激的なシチュエーションを求めている可能性があります。

「性癖=その人の人間性そのもの」ではありません。あくまで脳が見せる一時的な夢や嗜好の一部であり、人格全体を否定する材料にはなり得ないという視点を持つことが重要です。

妄想・作品として完結しているなら問題はない

判断の大きな分かれ目となるのは、「現実への影響」です。どれほど社会通念から外れた内容の空想であっても、それが個人の頭の中、あるいは創作物(フィクション)を楽しむ範囲で完結しているのであれば、それは個人の自由な領域であり、他者に害を与えるものではありません。

多くの人は、空想と現実の境界線を無意識に保っています。作品を見て興奮することと、実際にそれを現実で体験したいかどうかは、まったく別の問題です。もしあなたが「あくまでファンタジーとして楽しんでいる(現実では絶対に起きてほしくない)」のであれば、それは安全な範囲内でのストレス解消や娯楽として機能しています。

「なぜそのような心理になるのか」という詳細なメカニズムについては別記事で解説していますが、まずは「頭の中で完結している限り、誰かを傷つけているわけではない」という事実を認め、過度な自己非難を緩めることが大切です。

注意が必要なケースとそうでないケースの境界線

「普通か異常か」という曖昧な問いよりも重要なのは、「現在の生活や心身に実害が出ているか」という具体的な事実です。多くの場合は安全な範囲に収まっていますが、もし以下のような兆候が強く表れている場合は、少し立ち止まって心のケアを優先する必要があります。

日常生活やパートナー関係への支障チェック

最も明確な境界線は、現実の人間関係への影響です。頭の中での空想にとどまらず、現実のパートナーに対して無理な要求をしたり、試すような言動を取ったりしていないでしょうか。

例えば、「実際に他の異性と関係を持ってほしい」と強く迫りパートナーを困惑させる、あるいはパートナーが異性と接する場面を意図的に作り出そうと画策する、といった行動が見られる場合は注意が必要です。これは、本来守られるべきパートナーとの信頼関係よりも、自身の一時的な衝動を優先してしまっているサインとも受け取れます。

また、パートナーがいない場合でも、性的なコンテンツへの没頭が過度になり、翌日の仕事に支障が出るほどの睡眠不足に陥ったり、金銭的に無理をしてまで刺激を求めたりする場合も、衝動のコントロールが難しくなっている状態と言えます。

自己否定が強すぎてメンタルが悪化している場合

行動自体は制御できていても、心の中で自分を責めすぎている状態もまた、注意が必要です。

「こんなことを考えてしまう自分は汚い」「生きている価値がない」といった極端な自己否定が日常化し、性的な興奮が終わった後に激しい落ち込み(賢者タイムと呼ばれるような一時的なものではなく、持続的な抑うつ感)に襲われるなら、それは楽しみではなく「自傷行為」に近いものになっています。

快楽を得るための行為が、結果として精神的な苦痛の総量を増やしているのであれば、その付き合い方は一度見直すべきタイミングかもしれません。

罪悪感との上手な付き合い方|否定せず暴走させない

では、自分の中に湧き上がるこの衝動や罪悪感と、どのように付き合っていけばよいのでしょうか。「完全に消し去る」ことも「全面的に肯定して開き直る」ことも難しい場合、第三のアプローチが有効です。

無理に抑え込むと歪んでしまう心理

心理学には「皮肉過程理論」と呼ばれる現象があります。例えば「シロクマのことを考えないでください」と言われると、かえってシロクマのことが頭から離れなくなる現象です。これと同じように、「こんなことを考えてはいけない」「この性癖を直さなければならない」と強く抑圧すればするほど、脳はその対象に執着し、かえって衝動を強めてしまうことがあります。

無理な禁止は、リバウンド(反動)を招きます。抑え込んだ反動で、より過激な刺激を求めてしまったり、ふとした瞬間にタガが外れてしまったりするリスクが高まります。「直そう」と必死になること自体が、実は自分自身を追い詰め、その性癖への執着を強化してしまっている悪循環に気づくことが第一歩です。

「肯定」ではなく「理解して距離を取る」アプローチ

無理に抑え込む必要はありませんが、かといって「これが素晴らしいことだ」と無理に肯定する必要もありません。推奨されるのは、「自分にはそういう一面がある」という事実だけを淡々と認める姿勢です。

「またこの妄想をしたくなったな」「不安になっているな」と、自分の感情を一歩引いた場所から観察するイメージです。これを「是認」ではなく「受容」と呼びます。「良いか悪いか」のジャッジを一旦脇に置き、「今はそういう状態なんだ」とラベルを貼って棚上げしておく。

そうすることで、衝動に飲み込まれることなく、また過度な自己否定で傷つくこともなく、適度な距離感を保てるようになります。この「判断しない時間」を作ることが、心の平穏を取り戻すための有効な手立てとなります。

現実を壊さないための“安全な距離感”

自身の性癖と長く付き合っていくためには、現実生活を守るための防波堤を自分で築くことが有効です。衝動をゼロにすることは難しくても、それが現実を侵食しないようにコントロールすることは十分に可能です。

妄想と現実の線引きを明確にする

最も安全な対処法は、「これはフィクションである」という枠組みを強固にすることです。漫画、小説、あるいは脳内の妄想といった「作り物」の世界で楽しんでいる限り、それは誰の権利も侵害しておらず、衛生面でも安全です。

「現実に起きたら絶対に嫌だけれど、創作物としては興奮する」という感覚は、ホラー映画を楽しむ心理に似ています。ゾンビに襲われる映画を見てハラハラすることを楽しんでも、実際にゾンビに襲われたい人はいないはずです。

「これは脳への電気信号的な刺激に過ぎない」と割り切り、創作物は創作物として楽しむ。この境界線を意識的に引くことで、罪悪感を不必要に肥大させずに済みます。

1人で完結させる選択肢を持つ

もし衝動が高まったとしても、それを他者(パートナーや第三者)を巻き込んで解消しようとしないことが、心の平穏を保つ鍵です。自分一人で完結させる方法は、最もリスクが低く、かつ即効性のある対処法です。

誰かに話したり、共有したりする必要はありません。「墓場まで持っていく秘密」が一つや二つあっても、それは不誠実なことではありません。大人のマナーとして、自分の特定の欲望は自分の中だけで処理し、パートナーの前では良きパートナーとして振る舞う。この使い分けができていることこそが、自制心のある大人の態度と言えます。

まとめ|不安を感じている時点で、すでに暴走していない

「自分はおかしいのではないか」「いつか道を踏み外すのではないか」と不安に震えているあなたへ、最後にお伝えしたいことがあります。

その不安を感じているという事実こそが、あなたの理性が正常に機能している何よりの証拠です。

本当に危険な状態にある人は、自分の行動に疑問を持たず、躊躇なく他者を傷つけたり現実を壊したりします。あなたが悩み、ここで情報を探しているのは、現実の生活やパートナーを大切にしたいという強い意志があるからです。

性癖は、天気のようにコントロールできない部分があります。雨が降ることを止められないように、湧き上がる衝動そのものを消すことは難しいかもしれません。しかし、傘を差して濡れないようにすることはできます。

「自分にはこういう癖がある」と認めつつ、現実には持ち込まず、適切な距離を取ってやり過ごす。そうやって折り合いをつけていくことは、決して悪いことではありません。どうぞ、自分を責めすぎず、今夜はゆっくりと心を休めてください。

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